門弟・門下生メーリングリストから
ご意見ご紹介です!
〇8月12日—よしりん先生のブログ
「完成しないから人生に意味がある」
〇8月1日—ブログ
「プライドのないメンツ主義者」
〇6月5日—ライジングVol.272掲載・
ゴー宣第279回「『謝ったら死ぬ病気』に罹るな!」
は、連動するように「ゴー宣」の根底に
当初から貫かれている“居ずまい・佇まい”が
語られていると思います。
力を入れて“貫くぞ!”というより、よしりん先生
という方のごく自然な考え方・姿勢の在りよう
—として常にあるもの。
その時々のゴー宣のテーマについての議論を
超えて、ゴー宣はじめ多数の作品群の底に
ずうっと流れている“刃が常に自分に向いている
という(自然な)姿勢”は【感じ取る】しか
ないのだと思います。
それ無くして、どんなに優れた「反論」を
している“つもり”になっても、その人の空しい
プライドの皮が突っ張っているだけ
—浅薄で陰湿な臭気が噴き出ているのを
サトラレてしまいます。
(cf.執拗な弱者のルサンチマン
≒排除されてもウラミヲハラスコメント@ライジング)
> 思想し続けることは常に自分を疑い続ける態度
だから、承認願望が充たされない。
(「完成しないから人生に意味がある」より)
>男でも、女でも、間違いは犯すが、
あっさり認めて、謝罪すればいい。
メンツや意固地を貫くようなら「公論」の
妨げにしかならない。
しかし、知識人の世界でも、「公論」なんか
二の次三の次、一番大事なのは自分の
メンツと意固地、そういう者ばかりで、
うんざりする。
(「プライドのないメンツ主義者」より)
> 人間は完成しないものだと思い、日々勉強だと
心がけ、常に考え、思想し、成長し続けて行く
しかない。そのためには、間違いは間違いだと
認めていかなければならない。—(中略)—
「謝ったら死ぬ病気」が、権力者のトップから、
報道の人間から、一般人、ライジングの読者に
まで蔓延している。
(「『謝ったら死ぬ病気』に罹るな!」より)
SPA!ゴー宣第十五章
「なぜ高学歴の若者がオウムに入ったか」と
FLASHよしりん辻説法
「オウムよく言えどもカルトを離れず」で、
ともにオウム真理教事件について
ほぼ同時に取り上げられました。
両方に、事件当時オウムに好意的で擁護する
発言をしていた罪深き“知識人”の面々が名前入りで
しっかり描かれています。当人たちは知らん顔・
忘れたふりしてその後もイケシャアシャアと
言論活動していましたが、よしりん先生は
決して忘れてないぞ!事実は消えないぞ!。
そして死刑執行の期に及んで
「オウムの謎は未だに解明されていない」と
執行に疑問を呈する“エセ知識人”の面々も
(こちらは似顔絵のみで)描かれています
(誰かは一目瞭然!)。
ただ一つ!、マスコミが自らに刃を向けた
記事がありました。SPA!の7/31日号
「オウム真理教とは何だったのか?」です。
当時の自誌の記事の写真入りで
「このように怪しげな教団を無批判に取り上げて
しまったことへの自戒の念は、決して消える
ことはない」と(p23)。驚きました。
誤りが明らかになっても決して謝罪しない者
—忘れたふり・許されたふりをして次の言論へ
移行。でも事実は消えないで残る、
—黙って見ている衆人の中に、
誰より自分自身の中に・・・。
前記の三つのブログやゴー宣が繋がって、
読者達が歩いて行く先を照らして
いるような気がします。
—≪誤りて 謝らずして 危ぶまれ≫
—-あや・あや・あや;;。
(和ナビイさん)
自分の誤りを認めていくことは、
正直シンドイと思うこともあるんですが、
よしりん先生はそんなことは当然の前提と
しているわけで、最初から物事考える
次元が違ってるんだなあと思います。